観劇日記 弦巻楽団「サウンド・オブ・サイレンシーン」2016.3.12 in 下北沢2016/03/13

※このブログをもともと知っている数少ない皆さん、4月に札幌公演があります。でも書いてます。そこんとこよろしく♪です。





単身赴任9か月目にして、初めての観劇。
きっかけはyhs。

「なんだ、大阪かぁ・・・行かないし」
「あれ、弦巻楽団・・・下北沢・・・」
「ふかっちゃん、でてるし!”おちくぼ”で観た深浦くん、いるし!」

態々(わざわざ)東京で札幌の劇団を観に行きました♪



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(弦巻楽団のfbとフライヤーより抜粋、再構成)


長い闘病生活を送った母を見送った姉妹。

母の介護に暮れた姉は40歳を目前に独身。
妹は仕事と家の往復のみの姉を心配する。
妹の恋人は求めに応じ、職場の先輩を紹介する。

始まった、姉と先輩の交際。

職場の先輩はプロポーズを決意。
姉は先輩からのプロポーズを断る・・・


なぜ、断ったのか。
理由を探す、隠す、触れる、見えてくる。

思い遣りと気遣いの錯綜する4人の間で、
「声にならない言葉」が、揺らぎ、追い詰め、押し潰す。

現代人のコミュニケーションを題材にした悲喜劇。

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【作、演出】
弦巻啓太

【出演】
姉・市ノ瀬つばめ   : 塩谷 舞
妹・市ノ瀬つぐみ    : 深津 尚未
妹の恋人・干場渉   : 深浦 佑太
干場の先輩:高畠集 : 温水 元


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1)率直な感想 「あてがき?」

妹役の深津尚未さんは、即興組合での旧知。
恋人役の深浦佑太くんは、「おちくぼ」で観てた。

なぜだろう・・・その時の印象と、今回の舞台を観ての印象にずれがない。そして、相応に役にハマっている。違和感なくはまっているということは、役を引き寄せている場合と、脚本が役者前提、あてがきになっている場合がある。今回の舞台を観た印象は「あてがき」。フライヤーを見ると5月ソウル公演「四月になれば彼女は彼は」のキャストが深浦・深津のふかふかコンビ。

たぶん、あてがき。

あてがきの課題は、役者の引き出しを増やす脚本になっているかどうか。作・演出サイドの課題は、役者を理解し、育て、自由度の高い舞台づくりを可能とするだけの意識があるかどうか。役者サイドの課題は、作・演出の枠を飛び出す努力を意識できているかどうか。

・・・という感じかなぁ。


2)方言と仕草に見る「癖」の始末

深浦くんが時々繰り出す舌なめずりは、癖?
癖だけど、そのままにした演出?
癖じゃなくて、演出?

台詞で、「寒くない」があった。
北海道で多いイントネーションは「さむくない」の「む」が上がり、「く」で下がる。
関東的というか、NHK的なイントネーションの中心は「さ」が上がり、「む」で下がる。中心、と書いたのは、北海道で多いイントネーションもまあまああるようだから。
ここはどうだったんだろう・・・

数は多くないけど、こうした細部の始末が気になった。


3)冒頭の、難。

開演から15分くらい、眠たかったなー。
じっとしてあったまった俗人的な部分もあるだろうけどなー。


4)頭上の、椅子。

あー、そういうことか、と自分なりに理解したのは終わってから。
途中は、僕の中では単なる飾り。
思ったより目に煩くないので、よかった。
意味がなかったか、と問われると、あったんじゃないかな。
芝居を振り返るアクセントとして記憶に残ってる。
これが所与の目的だとしたら、・・・素敵っ。


5)脚本、僕は好きです。そして演出は・・・

これ、どうやって稽古するかなー。
時間軸で捉えて、全体を把握したうえで、個人軸で再構成するかな。
これは脚本であり演出であると思うけど、個人軸を変えた場合の脚本の違いがはっきりとわかるのは「先輩・高畠」軸だったかな。それは、他の軸の場合に見られないシーンからではない。高畠から見た印象や受け取り方が、繰り返しとなったシーンで観られたから。それは「高畠」軸が明らかに結婚後となっており、心象が含まれているから。

・・・と、書き進めたけど、他の軸のときはそれが明らかではない・・・これは脚本がそうした要素ではなく、コメディの要素を意図したものだったからだろうか・・・

この推察は、姉・つばめの、高畠二度目のプロポーズへの「はい」の件(くだり)が二度あり、背景を踏まえた観客の心象にのみ委ねられたであろう演出?芝居?であることに起因する。もしくは個人軸からのアプローチがそもそも演出上であまり重要ではなかったのか。脚本と演出が同一人であるということから発する一体性は、より深い部分での表現を求める(であろう)。それは脚本に新しい息吹が、演出側から生まれにくく、役者側からのアプローチを妨げるものとなるのではないか。

あー、これはいかん、深みに嵌る・・・それも自分で勝手に。
とにもかくにも、この脚本は役者を替えた上演が、いまは想像できない。


6)ウェルメイドとシチュエーションの境界線。

エンプロの「おちくぼ」は、シチュエーションコメディ。
弦巻楽団の基本線は、ウェルメイドコメディ。
深浦くんをキーにした場合、境界線は曖昧のようだ。
作品そのものをキーにした場合、比較的境界線は色濃く見えてくるような気がする。
まぁ、観る側はいいか、そのあたりは。


7)札幌、という「訛り」。

フライヤーには、
「札幌で活動しているという『訛り』に考えが至る」
「作品を作るということは日常の延長か、断絶か」
「活動する場所に意味を見出すべきなのか」
という件があった。
観客は芝居から場所(地域、街)を想像、というか感じている。
僕はその一人として下北沢、東京、関東、水辺、川、満ち引き、遡上、などから、それほど大きくはない本州の地方都市を感じた。だからこそ、イントネーションに違和感を感じた。
このことと直結するとは思わないが、脚本家にして演出家・弦巻啓太の描く「訛り」を、感じてみたい。

ただ、神は細部に宿るような気がしている僕は、下手な粗探しに陥らないように自分を振り返る作業が特に必要だろう。そうしないと、「訛り」には気づかないような気がする。


8)深浦佑太くん。

4人のキャストは、それぞれの持ち味と力量を発揮していたと思う。
その中で、いわゆる舞台回しにしてすべてに直接かかわる軸としての「干場渉」役の深浦くん。一見飄々としたその立ち姿、ごくまれに意思を示す手、自然と言えば自然なままの雰囲気、これらのどこまでが演出で、どこまでが本人の役者としての力量なのか。

彼は今回の舞台で何を考えてきたのかを聞きたい衝動に、駆られた。







※札幌公演は、4月13日(水)~18日(月)、シアターZOOにて。