アップダウン 二人芝居 音楽劇 「桜の下で君と」2023/12/18

雑感を少しずつ書き進めてますが、なかなか筆が進まない(笑)



2023年11月11日(土)14:00~ コンカリーニョ アップダウン 二人芝居
音楽劇 「桜の下で君と」

【舞台の概要】

●フライヤーより

お笑いコンビ、アップダウンは、劇場で「桜」をテーマにネタを披露。本番を終え楽屋に戻るが、竹森は「自分たちも40代になり、ただ笑わせるだけじゃなく、笑いを使って大事なことを伝えていけるものを作りたい」と、『特攻隊』を題材にしようと提案。
阿部は「命を捨てて戦った人たちのことを笑いになどできない」と反対するが、竹森の説得により【特攻隊をテーマに音楽劇を作る】ことを決める。

2人がきになったのは、第四十五振武隊長として昭和20年5月28日、二人乗り戦闘機で特攻した関根一郎という人物。
「なぜ二人で突撃したのか?」竹森は阿部と調べを進めていく。

昭和17年、関根一郎が教官を務める熊谷軍飛行学校に14歳の久保玄七が入学。甘えん坊で子供っぽい玄七を関根は弟のように思い、師弟の絆は深まっていく。
昭和19年、本土決戦阻止へ特攻開始。関根も志願するが、左手麻痺と妻子を理由に軍が拒否。それを知った関根の妻子は子を道連れに自殺。ついに軍は関根の特攻隊入りを認める。
昭和20年、鹿児島の知覧基地で関根と玄七は再会。二人乗り戦闘機で飛び立ち、米駆逐艦ドレクスラーに体当たりを敢行。

お笑い芸人として、人生をかけ特攻に散っていった若者たちの生きざまを「笑い」と「歌」で今を生きる若者に伝える、ドキュメンタリー音楽劇。

【出演】
アップダウン 竹森巧、阿部浩貴
二人芝居 関根 一郎/竹森巧、久保 玄七/阿部浩貴
※脚本等の記述なし

●記憶からホンを辿る

漫才から始まる音楽劇。
こうして平和に暮らしている現代、過去には何があったのか。
先人が命を散らして守った日本。

「靖国で会おう」

桜咲く、桜散る靖国へ祭られる多くの先人は、命そのものを懸けて散った特攻隊は、何を思い、どう過ごし、どう死と向き合い、残す人々に想いを馳せ、どう死んでいったのか。

私たちは、歴史を辛く、悲しいとだけ感じることでよいのか。


【雑感】

●「お笑い」の優位性、劣位性

漫才から始まる舞台は、舞台に引き込むうえで優位と思われる。一方、今回のテーマがシリアスなものだけに、漫才からその後の展開にいかにつなげるのかが課題になったであろう。今回の舞台の一体感、オープニングからラストまでの連続性が担保されなければ、展開に違和感を持つことになる。今回は、特攻隊という対象を取り上げるきっかけ、二人が取り組む決意の展開が最大のハードルとなる。
桜、知覧、靖国、大事なこと、伝えたいこと、お笑いだからこそできること。場に出したキーワードを拾い上げて特攻に近づけていったが、知覧の持ち出し方に唐突感を持った。そして「よし、やろう」にたどり着く過程を観る側にとって納得しやすいものにできる余地を感じた。もしかしたらアップダウンを知る人にとっては、納得できる展開だったのかもしれないが。
個人的な好みになるのかもしれないが、竹森の説得に阿部がいやいやながらも応じていき、徐々にのめりこむ展開、という選択肢があってもよかったと思う。そうなっていた、と感じる向きもあるが、多少の滑らかさを求める自分がいた、ということだろう。
ふと思ったが、特攻につなげる展開そのものが、お笑いのネタ的な展開だったのかもしれない。芝居として捉える場合、その要素は劣位、と感じる。今回の舞台は音楽劇として、エンターテイメントとして捉えるほうがよいだろう。僕の芝居に対するイメージが狭いのかもしれない、とも思った今回の舞台であった。

●芸人の、俳優としてのスキル

つくづく感じるが、お笑い芸人の皆さんの俳優としてのスキルの高さは、今回の舞台でもやはり感じた。数多くのネタ、数多くの舞台の中で培ってきたのだろうし、ネタ作りにしろ舞台づくりにしろ、観察と把握の能力が特に求められるのであろう。そこに表現したいものを表現するための努力は、相当なものなのだろうと強く強く感じた。本人の年齢と設定の年齢に相当の差があるにもかかわらず、そう見えるのはそう見せるのには、脱帽である。

●特攻をどう捉えるか、にこだわらない

教え子を戦線に送り、戦死していく様に自責の念に駆られる、特攻志願も妻子を理由に軍は受け入れない、その妻子も思いとどまるよう懇願する、しかし本人は教え子への思いから特攻を志願し続ける。そのすえ、妻子は入水自殺する。遺書には「後顧の憂いになるので、お先に行って待っています」の文字。

当時の、そしてモデルとなった方々の思いを知る由もない。妻の思いを想像するに、夫を想い、その遺志に殉じたというものだけではないのであろう。

特攻という戦術に対する、現代を生きる私たちの考えは今後の選択肢としては否定的ではあるものの、過去の史実に対する考えとしてはそれぞれであろうと思う。そのうえで、英霊という言葉には戦争で亡くなった方々に対する鎮魂のほかに、過去の戦争を肯定的に捉えるイメージも感じる。また、その死の上に今がある、という言葉にも、似たようなイメージを僕個人としては感じる。
戦争で数多くの人々が、日本国民だけではない数多くの人々が亡くなった事実を遠い過去のものとしない努力、それが今回の舞台のテーマであろう。そう考えると、それぞれが持つ言葉のイメージに対して、どのような表現を言葉を展開を構成を、選択することが必要なのかがとても悩ましい。

●客席に向けた転がし(照明)がツライ

客席に座っていて、光が目に飛び込んでくる照明は、やはり嫌いだ。
漫才の冒頭の照明であり、ステージでの照明としての使い方であることは理解している、が、目つぶし的な照明は、嫌なのである。きわめて個人的なもの、ではある。

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