観劇日記 大人の事情協議会「こども警察24ジ!」2019.5.26、札幌・BLOCK2019/05/27

前回の観劇日記は2016年・・・東京単身のころのことだったとは・・・

3年2か月ぶり。

そして大人の事情は初観劇。


~~~ 以下、あらすじ、など ~~~

都会から来た児童誘拐事件専門の刑事たち、自称「こども警察」。
国内を渡り歩く彼らは、行く先々で地元警察官を臨時メンバーに迎え、空き地を打ち合わせ場所にして潜入捜査を繰り広げる。
お金持ちの大坊(だいぼうまさはる)家の一人娘が誘拐された?
落ち着かない大坊政治は何かを隠している?
妻の大坊春埜は、政治の何を知る?
連れ去った謎の黒ずくめの男の正体は?
謎の探偵・那須は一体何者?
大坊家のメイド?家政婦?妄想アイドル?三日月やよひは何を知る?
さむらまちの母・秀子は何を透視した?
トラの敷物ことベンガルは、一人娘に何を思う?
こども警察のサトウ・ムトウ・カトウに加わったビトウはほのかに主人公?「トウ」のないこども警察・山田の過去は?
私の話はうわさ話・香川の話はこの事件を導くのか?

《cast》

尾藤ほのか ・・・本吉夏姫(東区市民劇団オニオン座)
山田虎太朗 ・・・菊池健汰(演劇家族スイートホーム)
佐藤忍 ・・・栗原聡美(劇団新劇場)
武藤颯太 ・・・浅葱康平(演劇集団‐ 遊罠坊 -)
加藤アレックス輔 ・・・小林健輔(劇団怪獣無法地帯)
那須健吾 ・・・丹生尋基(劇団ひまわり札幌)
香川妙子 ・・・岩淵カオリ(yhs)
大坊政治 ・・・仲野圭亮(劇団works of heart)
大坊春埜 ・・・畑山洋子(劇団清水企画)
三日月やよひ ・・・長谷川碧
ベンガル ・・・森大輝(北海学園大学演劇研究会)
さくらまちの母・秀子 ・・・岡田みちよ(即興組合)
松木竹夫 ・・・ウメツケンイチ(ex.fiction)

《作・演出》
長岡登美子

《staff》
演出助手  星丸真咲
舞台美術  濱道俊介
宣伝美術  吉田美穂
照明  平賀友美
音響  橋本一生
楽曲提供  三島祐樹@ラバ
制作協力  水戸もえみ(yhs)、金子綾香、中村友紀
衣装協力  大川ちよみ、小助川小助(yhs)
小道具協力  柳瀬泰二

~~~ 以上、あらすじ、など ~~~



ようやく、雑感。



1.脚本

(1)2つのエンディング

今回のエンディングは2つある、との触れ込み。
「ややシリアスエンド」と「安心安全大事協エンド」がある、という。
僕が観たのは「大事協エンド」、子どもの誘拐は人形の修理だった、子どものいない夫婦の長く切ない人形遊びの末の出来事。

多分、脚本の後半1/4ちょいの展開が違うのではないかと、推察、いや、感じられる。「ややシリアス」は、子ともは誘拐されて虐待を逃れたが、本当の幸せとは・・・的な感じなのだろうか。

見てもいない「ややシリアス」をこのように想像した理由は、一応ある。

2つのエンディングを役者が演じ分けるため、エンディングに関わらずキャストの立場は一緒、と感じられたから。

そこがこの脚本の「キャストに対する配慮」であり、「演出上の難点」ではなかろうか。

役者が「ややシリアス」と「大事協」の両方を、しっかりと演じ分けられていないのは、努めて脚本の課題と思われてならない(演出の課題を回避しているわけではないが)。

(2)幾人もの「私」?

舞台を観ていて、どうにも台詞の向こうに一人の「私」が感じられる。
もちろん、脚本そのものは人物を書き分けてはいるが、「私」が演じる「キャスト」を舞台上で動かしている・・・そんな感覚を覚えた。

加えて、作・演出の生きてきた時代が脚本に反映されているわけだが、台詞の掛け合いや単語、モチーフがところどころに現れている。
これはもちろん良し悪しではなく、好みが分かれる脚本、ということであろう。

(3)「密」なる台詞構成だからこその「疎」、もしくは、「間」

会話には空白が生じるものである。
その空白が、哀しさを楽しさを笑いを涙を、「何か」をもたらすことが日常でも、ある。
非日常の舞台ではあるが、最大公約数としての空白を台詞構成上の素材としてみてもよいのではなかろうか。
今回のキャストは12人、全員が一度に絡むシーンはない。
とはいえ、最大で9人が絡むシーンもあり、最大公約数は数限りない。
できれば、「空白」という「1」のような「0」のような場面が、初見の僕にとっては必要だった。
なお、フライヤーに「どなたのリクエストも受けていない自発的警察モノ演劇」と書いてあるとおりと言えばそのとおりではある。

(4)脚本と舞台の関係

果たしてBLOCKは、今回の脚本を生かすことのできるスペース、いや、脚本を生かすために選択した舞台だったのだろうか。
確かに、あの舞台装置と脚本のつくりは広いスペースでの舞台づくりを前提としたものではなかったのだろう。一方で、BLOCKだったのだろうか。
同時に考えることは、舞台空間の使い方である。前後左右のフォーカスをいかに作り、観客の視線をどう誘導するか。BLOCKの空間を、あの人数で生かす場合の使い方はどのような方法があったのか。舞台奥にフォーカスを作りにくい舞台の特徴を左右に展開するだけではなく、台詞の順番や役者の配置、距離感を左右に振る中で肯定にも求めているであろう演出の更なる配位が必要なのかもしれない、と考えさせられる舞台ではあった。


2.演出

(1)役者?脚本?ストーリー?

舞台上のフォーカスに加え、脚本上のフォーカス、役者のフォーカス、シーンのフォーカスといったあたりが判然としないのがなー、と。
そうなると、ぼんやりと舞台を眺めることとなるのがもったいない。
舞台で伝えたいことが、残念ながら半減するんじゃないかと。
ということを解消するには、演出の意図を明確にして、お客様の目を通じたアングル、フォーカス、見え方をもうちょい整理してもいいのでは。

(2)脚本と演出の役割分担

多分ではあるが、脚本を生かすのは演出の如何かと。脚本と演出が同一人物ということは、脚本への思いが深いと思われる。脚本の意図を忠実に表すことが必要だと思いつつ、実態とのズレや事情の変更、執筆者や演出家本人の思いを踏まえた脚本への客観視ができた方がいいのではなかろうか。

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