トランク機械シアター「ねじまきロボットα(アルファ)~バクバク山のオバケ~」2023/12/14

TGR2023札幌劇場祭、ご縁あってたくさんの舞台を拝見しました。
せっかくなので、観劇雑感、という次第です。

さて、年内に全部をアップできるのか?!


2023年11月3日(金)14:00~ やまびこ座 トランク機械シアター
「ねじまきロボットα(アルファ)~バクバク山のオバケ~」

【舞台の概要】

●フライヤーより

バクバク山にはオバケがでるんだって!オバケと友達になりたくて“アルファー”と“つきはぎ”があそびにきたよ!でもそこにいたのは本当にオバケ?なんでオバケになったの?バクバク山の秘密が明らかになった時、ぼくたち、おともだちでいられるかな?

【出演】縣 梨恵、石鉢もも子(ウェイビジョン)、後藤カツキ、さとうともこ、寺本彩乃(CAPSULE)、原田充子、三島祐樹 【作・演出】立川圭吾 【音楽】三島祐樹@ラバ 【音響】橋本一生 【照明】秋野良太(合同会社MELON AND SODA) 【イラスト】チュウゲン 【企画・制作】一般社団法人トランク機械シアター

●記憶からホンを辿る

人間と動物の約束。
それは、人間が山の「バクバク」に食べ物を届け、動物は「バクバク」を山に閉じ込めること。
人間は山に近づかないようにした。
動物は人間の食べ物を食べないようにした。
「バクバク」は、山で人間の届けた物を食べ続けていた。

ねじまきロボットのアルファーは、バクバクと仲良くなろうとした。
アルファーの友達、ロボットのつぎはぎも、そうしようとした。

バクバクが食べていたのは、人間の「食べ物」ではなかった。
バクバクが食べていたのは、人間の「ゴミ」、だった。
バクバクは食べて食べて食べ続けて、姿が変わっていった。

ある動物が、つい人間の食べ物を食べて、死んだ。
人間は、知っていた。
動物は、知っていた。
バクバクも、知っていた。
それでも、食べ続けた。
「しかたないんだよ」
アルファーは、バクバクを止めようとした。
止めようとしたが、ネジが切れてアルファーは動かなくなった。

バクバクは、つぎはぎに頼んだ。
「ネジは僕がいないところで巻いて」
「でも」
「お願い、お願い」
つぎはぎは、バクバクの懇願に「しかたなく」従った。

「あのままじゃだめだよ、食べるのをやめさせなきゃ」
「しかたないんだよ」

しかたない、しかたない、しかたない。
子供たちは、今は知らない。
でも、大きくなったら知ってしまう。
しかたない、しかたない、しかたない。

しかたない、でいいの?
しかたない、じゃなく、ちゃんと話そうよ。
それがともだち、だよ、きっと。

人間でもない、動物でもない、ロボットが紡ぐともだちストーリー。

【雑感】

●初対面(のはず)、立川佳吾くん。

久々のやまびこ座、マスク姿ではあるが、入口でふと見た記憶があるような顔。
あー、きっと立川佳吾くんだ。直感した。
なぜそう思ったのか・・・接点を探してみた。経歴には教育大札幌分校と書いてある。
僕と芝居と教育大札幌分校の接点は、2003年2月の梯提案舎(かけはしていあんしゃ)「Re;(あーるいーせみころん)」、同年2003年4月の演劇集団空の魚「オセロ・ゲーム」の観劇。地域活動の後輩・大江圭介が空の魚のOBだったり、当時所属していた劇団のメンバーにOBがいたり。いまさらながら、大谷啓介くん、遠藤雷太くんの名前を見つけたりして、感嘆。
いろいろお話聞いてみたいなぁ、と、唐突に初対面で思った。
でも、きっと初対面に違いない、2023年11月。

●トランク機械シアターは「やまびこ座」を使い慣れている、きっと。

やまびこ座。ここの主役は観客でも劇団でもなく、子ども、だ。
そのことはやまびこ座の構造が物語っている。
半円形のホール、客席の八百屋の緩やかな角度、広めの通路、低めの座席、近い客席最前列と近くて低めで緞帳のある奥行の深くはない舞台、そして短いながらも舞台上(カミ)下(シモ)から壁沿いにそれぞれ花道がある。子どもにとっては大きく、大人にとっては小さく子どもに目の届く空間である。

トランク機械シアターは、幕前から役者を登場させ、話しかけ、笑い、歌い、踊り、会場の子どもたちとコミュニケーションを積み重ねていった。子どもの行動制限は親任せではなく子ども本人との「お約束」とし、開場から開演をスムースにつなげ、暗転を避け、子も親も安心できる導入としていた。トランク機械シアターは、子どもたちを対象に人形劇を主体とした集団である。その意味では当然とも言えるが、やまびこ座の機能を生かした舞台づくり、子どもを主役にご両親をサポートする視点を持った、やまびこ座を知り、使い慣れた集団だと感じた。

●開演の「バクバク山はマスクなしでは入れない」はちょっと混乱。

開演前に歌でいくつかの「お約束」しての開演だったが、「・・・もうひとつ・・・」と続きが。
「バクバク山にはマスクなしでは入れない」
演者は全員マスク着用、コロナやインフルエンザの流行が気になる昨今、会場でのマスク着用を暗に促す告知か?と混乱。マスクを開演直前のこのタイミングで?!
・・・と、まあ、ちょっと気になった。

●演者は全員マスク着用、効果的だったのかもしれない。

役者と人形遣いが混在することから、トランク機械シアターでは舞台上に登場する「人間」を演者、と統一したい。
演者が全員マスク着用だった。これは新型コロナが感染法上の2類とされていた時期に一般的だった対策を継続することで、ご来場の皆さんの安心を担保するため、と考えられる。
舞台上でのマスクは、一般に役者にとっては不利と考えられる。表情が半分見えないからだ。それを動きでフォローすることになるが、簡単ではなかろう。他方、人形を操るうえでは演者の表情は差し支えになる可能性があるのではないか。過去のトランク機械シアターの公演写真を見ると、コロナ前はマスクを着用していない。その時の人形と演者の一体感がわからないので何とも言えないが、マスクは決してマイナス効果だけではないと考えられる。人形の感情よりも、演者の感情が上回ると、人形の存在が邪魔になる可能性があるのではないか。その意味では、マスクは効果的だと感じた。一方で、マスクが演者と人形の距離感を生み出しているのではないか、との印象もある。幕前の会場とのコミュニケーションではアルファーに限って登場し、かつ、アルファーというよりアルファーを担当する演者と会場とのコミュニケーションが中心と感じられたこと、他の演者は人形を介していなかったことから、劇中では演者とアルファーの一体感が減じているように感じた。

●人の掟、動物の掟、バクバクの掟

人は山に「食べ物」を持っていく。動物は人の「食べ物」を食べない。バクバクは山から出ない。マイナスの三角関係が均衡を保っている。負の循環を断ち切ろうとしたのが、アルファーでありつぎはぎだった。でも、バクバクは受け入れなかった。バクバクはなぜお腹を空かせているのか、なぜ食べるのか。いや、バクバクは本当に食べたかったのか。バクバクが大食漢でなんでも食べ続けてしまうので大量の食べ物が必要だから、という劇中の「お話し」は、何を指し示すのか。

バクバクの正体を、作・演出の立川佳吾はどう位置付けているのだろうか。

●バクバクの正体、脚本の意図

ストーリーを素直に理解すると、「山」そのもの、ということになる。人間が出す様々な廃棄物を受け入れ、どんどん環境が破壊されていく様相から、そう考えることができる。人間の食べ物を食べた動物が死んだことも、そう考える伏線であろう。子どもが大人になり、バクバクの食べ物があらゆる廃棄物であることに気づく時間軸から考えると、「山」のサイズ感が適切な表現であるとは思う。

他方、アルファーやつぎはぎはロボットであり、その時間は人間よりもはるかに長い。

舞台でのごみと、バクバクのオバケへの変化の表現は、核廃棄物や原発の処理水を想起させる。この点を踏まえると、山ではなく大地や海、つまり地球に対する意識が脚本にはあるのだろう。解決策を示すことが困難な現状で、山の環境問題として捉える程度にとどめることなく、考えて考えて考え続けて課題解決の道を一人一人が探ることを提起しているのではないか。

舞台を観て、ご来場の皆さんが感じたのは虚無か、責任か、それとも・・・。